さて5月20日のFBで「国や地方のオンラインがよその国から見てズタズタ(どこかで人手が必要)の理由については後日アップしたいと思います。」と記しました。
1枚の資料(写真)が出てきましたので僅かな記憶だけで記しておきたいと思います。
写真の資料は国家公務員給与を100とした場合の当該自治体の給与水準です。
枚方市は昭和49年(1974年)(緑枠)にラスパイ指数138.7(国家公務員給与に比べ4割近く高い)を記録し、全国一公務員給与の高い自治体となりました。
写真の数字は単なる数字ですが、数字の裏には人の営みがあります。これが政治でもあります。
私は大昔、学生運動も少し経験しましたが、当時、優秀な左派運動家が給与の高い枚方市を目指しました。
そして彼らは現業職員もそのような方を採用し、全国でも屈指の旧社会党系の役所となります。国では廃止された社会保険庁の仕事がアラかった。(ウィキ参照)
当時、「合理化」という言葉や「電算化」という言葉は「人減らし」(組合員減らし)に繋がりタブー視されていました。
住基ネットやオンライン化という言葉は「将来、住民の利便性を高める」という正論を持ってしても、「徴兵制につながる」、「かえって大変」、「極力、国(自民党政権)との共通化を避ける」、「国に資産を把握される」、「脱税しにくい?」などと意味不明のすり替えが行われても一定の力がありました(^-^)
「特別定額給付金」のドタバタも「マイナンバーカード」に消極的なのも源流はそのようなところにあります。思うに、ここは小泉流でないと安倍さん式ではムリです。残りは居酒屋で・・・
で、写真の青線は平成7年(1995年)に初めて保守系(市民派標榜)で当選された中司市長の在任期間。赤線は私の在任期間(16年間)です。
中司さんが気の毒なのは市長当選時、枚方の財政は財政再建団体直前(自治体破産)まで悪化していたことです。(ある意味当然の結果)
中司さんは、このままでは住民に必要な事業は何も出来ないので職員の意識改革、行財政改革を進められる事となり、私は結果的に中司さんの行財政改革を進めるブースター的役割を担うこととなりました。
で、当時のご苦労を高く評価し、今でも応援させていただいています。
・・・ここで分量A4一枚分となり、これも残りは居酒屋でm(__)m
担当の方が「大卒は94.15なんです」(低いという意
なぜか?については居酒屋で・・・