今週は相変わらず樟葉駅前のお店でシリアスな懇談会が続いています。
「ほら!あの~、熱いぞ、とかいうメニューあったよね!」
「あ~~、アチージョですね。」・・・ファッゴットを吹く神業のお姉さんに軽く瞬殺される。
私のヴェノーバを見て、見せてください!仕事中やろ、と思いながらも興味を示してくれるのが嬉しい。
見るやいなや、可愛い!マウスピース本格的!と興味を示していただく。
一瞬で正しく持ち、キーの配置を理解する。・・・これだけでも私は時間を要したのに・・・
相手がF1マシンなら私は木炭車。何かムラムラするが、お連れもいることなので止めておこう。
さて、シリアスな話の内容は選挙前なので置いておいて、
ヴェノーバの件、関心のない方はプライベートなことなので飛ばしてください。
ある方とFBでのコメントが行き交う内に気がついた。(注:まだ二日酔い中)
父はピアノから電子楽器の草分けであるエレクトーン初号機からの奏者になり、最初に発売されたシンセサイザーのコーグ(当時はベラボウに高かった)を使って鐘のメロディーも作っていました。
音楽事務所を経営していた母がいつも「楽器代ばかりで儲からない」とぼやいていました(^-^)
全国の公園などに設置されている「ヒラリヨン(枚方市の場合)の鐘」の音楽は大手楽器店を通じて父が編曲したりもしていました。
未だに実家のレッスン室には、今も多くの地域で鳴っている父が手がけた「鐘の編曲」のカセットテープがミカン箱に山積みされています。
これはお祖父さん(髙橋虎之助)が日蓮宗の寺の住職をしながらピアニストとして戦前の映画音楽や京都交響楽団(後の京都市交響楽団)を作ったDNAですね。
結局、お祖父さんは戦死して、父は寺から出家?して音楽の道を歩みます。DNAは仕方がない。
ある日、「六稜会(りくりょうかい)」というブログを見ていて、お祖父さん、プロのピアニストと表現されていました。正しくは時々プロの高度なアマでしょう。住職がプロのはずですので(^-^)
※府立北野高校OBの方のブログより(後半一行だけ記載されています)
http://www.rikuryo.or.jp/home/people/noguchi5.html (すみません、ここからクリックすると宇宙人文字に化けます。興味のある方はアドレスをコピーしてクロームのグーグルに貼り付けて検索してください「われら六稜人第27回ある音楽家の生涯」をコピーして貼り付けていただいても可です)
私は母を困らせた音楽家のDNAを断ち切るべく、最小限の父の手伝い(楽器の搬送)と音楽は聴くだけに留め、坊主のDNAと音楽のDNAを断ち切り金融機関の道を歩みます。
妹たちも音楽はせず日興證券と東京海上に勤め、音楽とは無縁の企業戦士となります。
時は過ぎ、幸い4年前まで寺と音楽には無縁に自由に生きることが出来ましたが、現職から自由になったとたん寺と音楽が纏わり付いてきました(-_-;)
たまたま、ある方から頼まれて、ある方(福山先生)の様子伺いに地元にある島村楽器へ足を運んだことがヴェノーバとの出会いとなり、あれよあれよという間に音楽関係者に包囲されているという現状。
音楽については昨年11月まではまったく無縁な世界でした。
これはお祖父さんと父があの世で演奏会しようという「お呼び」なのかと思っています。
ただ、私のヴェノーバに対する思いは、「この僅か1万円のヤマハが開発したプラ製新型アナログ楽器を一音ずつ正しい音程と美しい音を吹く事だけに注力する」ことで、曲を吹きたいとは思っていません。
ロングトーンとドレミファソラシドを美しく、だけです。深追いはしない方針。
この事が確認出来た(^-^)
今日はそのことだけの日記です。
さて、今週、私を長年、支えてきてくださった方からウィスキーを頂きました。
今や公職でも何でもありませんので、私に対するプレゼント、招待、割り勘、奢ってもらう(^-^)等、堂々とウェルカムですのでよろしく(^o^)/・・・・・・本日はここが一番大事!!
一瞬でヴェノーバを操る。
大学時代は吹奏楽からオーケストラへ!!ホンマモンや!
今、写真見て気がついた、時計、高級そうや!
これアップすると何人で来たかがわかる。
因みに左2人目の下にいるのがドラムを叩きまくっていた
この叔父さんが学会バリバリで私も基礎教育を受ける。今
私は無所属ですので!お間違えなく。
演奏会の後は、届けられたお花、お菓子、ネクタイ、仕立