敗戦後、3年半!

昨日は八幡市民オーケストラの定期演奏会へ長男と共にお隣の八幡市文化センター大ホールへ聴きに行きました。

3年半前、土曜の夜にいつも楠葉の呑み所「わけい」さんへ演奏会の練習を終えた方々が集まっておられました。
オーケストラの中にコンサートマスターをはじめ枚方の方々が居られたのです。

私がお酒を呑みながらカウンターでボーーとしていますと、「髙橋さん、オーケストラ聴きに来てください」と誘われました。
まだ味方と思っていた人から知らんふりをされショックが大きかった頃です。

人生で初めて5回目の選挙で大失敗である落選直後、そんな気にはなっていないときでしたが、音楽家の父が「八幡の文化ホールはバランスの良い音響で良く出来たホールや」、「ホールはなあ、安もんは論外として、音響にお金をかけても良いホールになるとは限らんのや」といつも言っていましたので行くことにしました。

演奏はつくづく心にしみましたねえ。
それから年2回の定期演奏会には聴きに行くようにしています。

思えば、あのとき「議員の仕事」という艦が撃沈され、乗組員が大海原で浮遊しているときに救命浮環を投げ入れてもらったようでした。

救命浮環で思い出すのは、62歳で名刺の肩書きを失ったときに、今後の活動のため快く肩書きを提供していただいたNさん、セミナー講師の話をいただき、私が躊躇しているときに励まし背中を押していただいたSさん。四天王寺ワッソに引っ張り出していただいたUさん。

撃沈された艦長にも関わらず議会で変わらぬお付き合いを続けていただいているAさん。Oさん。
そして議会の皆さん。行政OBの皆さん。今はまだ危険(^-^)なのに変わらぬお付き合いをしていただいている行政現役の皆さん。
現役ではなくなったのに、東京へ行くといつも声をかけていただく政党時代からのHさん。
市民の皆さんからの励ましの数々。

それに時間がたつに従って学生時代の友人、恩師、京信時代の友、京信時代からの祇園のママ(^-^)、友禅の友。
亡き父と共に美味しい食事でオアシスのように心温まる場であったY夫妻。
まるで集団的自衛権が機能しているようm(__)m

しみじみとありがたく、感謝の念が湧いてきます。
今となっては負け戦も良いものだと日本の戦後のような感覚です。濃密な3年半をいただき深く感謝です。

このまま佛道で精進したいと思う反面、セミナーに来られる先生方に、現職であった経験を生かし議員活動で最も大切なことを伝えていきたいと思っています。合掌(^-^)

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、群衆、室内
八幡市民オーケストラのレベルは高く、観客の方のマナーも素晴らしい。それが1000円で聴けるのです。
オーケストラのある街に惹かれます。
画像に含まれている可能性があるもの:2人、群衆、室内
相変わらず盛況です。
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私の戦後の原点です。
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