エレクトーンの髙橋一男

髙橋一男のプロフィール 

私のホームページにアップしていたものを一部転載しました。

 

1928.12.11(昭和3年)-2004.5.29(平成16年)

(75歳と5ヶ月でした) (2004.8.11up)

 

高橋一男(たかはし・かずお)  1928年12月11日、日蓮宗慈雲寺(じうんじ)にて生まれる。小学校に上がる頃、父親(耀岳ヨウガク・芸名は虎之助・後の京都市交響楽団となる京都交響楽団を作る)が僧侶から音楽家に転身、父親耀岳がルソン島で戦死した後、周囲の勧めもありピアニストとして林二郎先生へ弟子入りし、一年後、京都南座でデビューを果たす。

その後、当時、関西ナンバーワンの楽団「ラ・クンパルシータ」のピアニストとして活動開始。戦後のダンスブームに乗ってダンスホールなどで演奏活動を続ける。 1961年、誕生直後のヤマハエレクトーンと出会い、独学でマスター。独自に奏法やアレンジを研究し、京都三条にある十字屋さんでエレクトーン教室を開く。その後、ヤマハ川上社長とともにエレクトーン普及に尽力する・・・

・・・2004年5月29日、急性心不全で逝く。「死ぬまで働くわ」の口癖どおり、逝く当日まで仕事をしておりました。その日は十字屋四条大宮センターへ行き。午後4時半頃家に帰り、6時半に母が夕食が出来たので呼びに行った時には逝ったあとでした。2階の寝室のベッドにもたれかかったままでした。苦しんだ様子は一つもありませんでした。誠にお見事と言うしかありません。 ・・・私にとっては残念でなりません。もっと父と話しをしておけばよかったと心から悔やんでいます。・・・

psその後の調べで父(一男)は枚方市にも貢献しておりました。 98年3月に完成した市政50周年事業の平和の鐘カリヨン(通称ヒラリヨン)の編曲をしていたのです。議員控え室からその鐘の音を聞きながらこのページをアップしています。
私は99年から枚方市の議員をしていますのでヒラリヨンのことはあまり知りませんでした。もっと早く知っとけばよかったと思っています。 父がエレクトーンのグレード試験の検定官として枚方に来ていたとき、よく、ヒラリヨンの鐘の音を聴きたがっていました。
私は父の編曲とは知らずに、鐘はしょっちゅう鳴っているから早く食事に行こうと急かしていました。ゆっくり聞かせてやれば良かったと後悔しています。それぐらい父は自分の話をあまりしませんでした。調べていますと全国の自治体系の鐘(カリヨン)の音の編曲をしていたみたいで、父が各地のカリヨン用に編曲した相当数のテープが出てきました。

父の眠る慈雲寺(じうんじ)のご紹介; 慈雲寺は歴史ある日蓮宗のお寺です。五条大宮一筋西入ル、100メートル下がる。阪急四条大宮駅からは大宮通りを南へ歩いて15分。 お寺のTEL 075-341-7772 お寺に入ると南側に小さな墓所があります。墓所を入って左手に父は眠っています。高橋のお墓は一つだけですので間違う事はありません。お近くまでおいでの節はぜひ御参りください。喜ぶと思います。 慈雲寺のご住職は第32世の岩本上人さん。とてもいい方ですのでお話も聞いてみてください。父の祖父は第30世の住職でした。父の父、耀岳(ヨウガク)は31世にならず音楽の道を選びました。

エレクトーン高橋一男のエピソードを募集しています! 父の生徒さんたちやお付き合いのあった方で、「こんな話、こんなエピソードがあった」という方がおられましたら、是非メールにてお知らせ下さい。今後このページに掲載したいと思っております。お名前はペンネーム、ニックネーム、実名などご希望に沿うようにいたします。 by伸介shinsuke@kiku-sakura.net                           (2004.8.11up)

息子のひとり言 オヤジへひとこと: それにしてもオヤジよー、突然はないでー。関係先連絡、葬儀、仏壇、墓、仕事のシマツ、ほんとに右往左往したでー。選挙並みにシンドカッタでー。後悔先に立たずと言うけど、もっと話しておきたい事、いっぱいあったでー・・・さみしいなー。(04.09.19 秋が深まりつつ)
オヤジへひとこと2: それにしてもオヤジよー、手付かずの膨大な飛行機のプラモデルどないしたらええのか夢にでも出てきて教えてくれ。オレがいる限りはそのまま保存しておくつもりやけど、なんかのときは知らんで。(04.12.29 年末にて)
オヤジへひとこと3: 5月29日の日曜日、無事に一周忌の法事を終える事が出来ました。グランドピアノはNさんに形見分けとしてお渡ししたデ。ええなー。31日(火)の朝方、初めて夢でオヤジを見たで。七条のH君のお父さんと一緒やったな。僕が「話があるねん、話があるねん」と何度も叫んだけど声が届かんかったみたいで少し悲しかったけど平和そうで安心した。又、夢に出てきてや! (05.06.01 一周忌が終わって)
オヤジへひとこと4 オヤッさん、大整理したで。10月19日に2トン車で2回、今日(11月14日)、2トン車1回。何も捨てヘン人やってんなー。京都の近鉄になる前の丸物の包装紙が出てきたときは懐かしかったな。趣味のもん以外全部捨てた。金かかりましたし腰も痛めました。タバコの吸殻が封筒から出てきたときは笑った。こんなもんまで残すかー。やっぱり金目のもんはなかったな。永楽の焼き物とか漆器とか、ないかー。ほんまに。離れはご近所に開放するなど有効利用しようと思う。好きにさせてな。 それとオフクロが明後日(16日)手術をする。永年患っていた膝関節を人工関節に置換える手術です。必ず成功するよう、あの世から努力すること。お願いしときます。 (05.11.14 冬が深まりつつ)オヤジへひとこと5: 昨年に引き続き最終の大整理したで。またまた2トン車1台、今度は2トラデッキ2台、編集機多数、オープンリールテープ多数、古いスピーカー、本、楽譜、記念品多数などなどでした。さすがに今回で最後の整理とするわ。トラック1台3万円、4台で12万円やで、かんにんしてー。オヤジの遺品の9割は処分したで。通算2トントラック4台分の処分でした。 整理をしていて、いかにオヤジが音楽やエレクトーンの勉強をしていたかわかりました。偉大でした。 整理した中でアダルトっぽい本や資料は残しとく・・・・。 ところで28日に3回忌(命日は29日)を身内だけで慈雲寺で行います。よろしく。 (06.05.25  突然の2年前を思い出しながら)
オヤジへひとこと6: 26日の土曜日、懐かしの打瀬さんでの「偲ぶ会」が無事に終了した。オヤジの関係者の9割以上は女性であるので、「偲ぶ会」のメンバーは全員女性!特殊世界であったことがわかる。 取り合えず、オヤジが亡くなって2年と3ヶ月が過ぎた。この「偲ぶ会」終了をもって全ての行事と整理の終結を宣言しとく。よろしく。           (06.08.29 全ての整理にカタつけて)
オヤジへひとこと7: 今朝、オヤジの鮮明な夢を見た。充分ではなかったけれど、いろいろ話せて良かった。オヤジがいつも心配してくれていた選挙が近づいてきた。よくよく見ておってくれ。仏になった今はご照覧あれ!と言ったところか。 (07.04.06 3回目の選挙直前にて)
オヤジへひとこと8: オヤジが残してくれた遺品の中で、唯一のブランド品にオメガの腕時計があった。20年以上前のオメガデビルというオメガでは最初のクオーツ腕時計だ。 でも、やはり、壊れていた。時計店に相談すると当時は10万円以上していたものだそうだ。修理をすると2万円以上かかるそうだが、この際、修理して使うことにした。よろしく。 (07.08.27 市長再選挙前にて)
new!オヤジへひとこと9: 昨日(5月4日)、七回忌の法事が無事に済んだ。細かいことは後日報告します。(2010.05.05)

 

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