データバンク2>談合関係:小堀前副市長の記

07.12.23 PM 5:15 (日)

先月からいろいろと悩みましたが、やはり多くの市民にこの談合事件の実態を少しでも知っていただく為に、小堀前副市長の「記」をアップします。


小堀副市長(あえて以前の役職名で)様

 公判中で連絡が取れない為、この場でお伝えをしますことをお許しください。

 大変に残念なことですが、多くの市民の中では未だに大林組による枚方談合事件のことを、「役所ぐるみの官製談合」との考えをお持ちの方が少なくない状況です。

 私自身は今回の談合事件を議員という立場で間近に接し、肌で感じ、独自に調査したところでは「官製談合」ではないとの思いに至っております。

 しかし、事件中の一連の偏ったマスコミ報道や検察の起訴理由を見ると、何も知らされていない市民の方が、「役所ぐるみの官製談合」との判断をされる事も止むを得ない面もあるとも思います。
この事は行政や議会から、別の観点からの情報発信が少ない事も原因であるように思います。

 私は11月17日の組合チラシを見て、裏面に記された小堀副市長の心境を読み、そして深く感銘し、その内容を多くの市民に知っていただく必要が有ると思い続けてまいりました。

 年の瀬も押し迫り、議会も無事に終えることが出来た本日、やはり私の責任において、より広く公表することが、多くの市民に枚方談合事件の特殊性を理解していただき、公平に判断していただくには不可欠と考え、小堀副市長の了承もいただかないままアップしました。

 文面には小堀副市長のプライバシーに関することも含まれています。組合員には問題がないことも、ネットでは差しさわりがあるかも知れません。

 もし、ネットでアップしたことが小堀副市長の心情や、ご家族に多大なご迷惑をおかけしたならば、私の判断の誤りです。直ちに削除の上、謝罪に参りたいと思います。

 本来であれば、直接、小堀副市長にお会いし、了承を得なければならないところですが、公判中で連絡も出来ないことより、無断にての所業となりました。何卒、私の真意をおはかりいただきお許しください。




以下の文面は
小堀前副市長が平成19年11月5日、副市長を辞職され、そのことに伴い、同11月17日、福利厚生会会員の退会届を提出された際、福利厚生会組合員に現在の心境を綴られたものです。(以下、原文のまま)



                               記  

 平成19年5月31日、私は、枚方市発注にかかる第2清掃工場建設工事の入札に関し、談合に関わったとして大阪地検に逮捕・勾留されました。私は、40年以上枚方市政のために全力を傾注し、前記入札についても談合を排除するべく行動してまいりました。

 大阪府警の特捜のエースとして紹介された人物が実際は談合に加担しており、その人物が1000万円もの大金を談合に関わった見返りとして受け取っているなど微塵も考えたことがありません。四條畷市等の談合事件等で数々の表彰までされた現職の警察官であり、当然ながら談合排除に共に協力し時には指導してもらえるとの理解でしたし、中司元市長からもそう説明がありました。

 逮捕後、私は一貫して無実を訴え続けてきました。ところが、取調検察官からは、「二度と枚方市に住めないようにしてやる。」、「お前ら家族も町を歩けないようにしてやる。」などと、およそ聞くに堪えない暴言を浴びせられ続けました。

 私は腎臓癌に罹り、腎臓の一つを摘出しています。手術後は前立腺肥大症に罹り、勾留中はカテーテルを尿道に挿入され、出血に苛まれながら前記のような暴言に耐え続けなければならなかったのです。

 その間、大阪地検は、私が罪を認めたなどと虚偽の事実をマスコミにリークし、それがため私の家族のもとには、「松岡農林水産大臣のように自殺されたらどうですか」などと書かれた手紙が送られるまでになり、病弱の妻や若い子供達にまで相当な心労をかけることとなりました。

 私は自らの裁判で身の潔白を主張し、裁判所も理解を示して頂けると確信しております。

 しかしながら、他方で、私が副市長の地位に残ることについて葛藤があったのも事実です。

 現在、保釈中の身ですが、保釈条件が理由で市役所に赴くことも自重せざるを得ませんでした。その間、木下副市長にその全ての業務を委ね、木下副市長に加重な負担を強いておりました。

 何より市政の健全な運営を優先的に考えるべきであり、それがため市政に無用な遅れや混乱があってはならず、私の立場がそれを阻害しているのではと考えると断腸の思いでありました。

 保釈後、勾留中の無理がたたって緊急手術を受け、体調も優れませんでした。時間的に見ても、裁判に集中する必要があります。

 私には、職を自ら辞さなければならない理由はありません。今回、生まれて初めて検察庁が、人の生活や人生など全く考えず、ただ証拠の駒としてしか考えていないことがわかりました。
 私は中司元市長逮捕のための証拠の駒でしかなく、私の言い分など最初から聞くつもりはなかったのです。

 私が、今般、辞職願いを提出したのは、枚方市政を慮ってのことです。決して自らの非を認めたものではありません。保釈後、市役所の内外から数多くの激励を受け、苦楽を共にした仲間の素晴らしさというものを実感いたしました。
組合員の皆々様には、長年ご指導ご鞭撻頂き、長年共に仕事に精励できましたこと厚く御礼申し上げます。本来であれば、皆々様に直接拝眉の上、ご挨拶すべきところ、保釈中の身でありますこと何卒ご海容ください。



以上が小堀前副市長が綴られた全文です。
市民の皆様には素直にお読みいただくことを希望します。現時点でも、検察は中司前市長、及び小堀前副市長からは収賄も役所の談合システムも立件できていません。手記の内容からは人権上の問題も多々あるように私は思っています。


  2007.12.23当時の日記のママ




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